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車社会・運転免許(最終更新:2004年1月)

日本車について(2002年)

 アメリカにおける日本車の比率は20%だとかの報道があります。
http://www.autoascii.jp/issue/2002/0404/article16128_1.html
が、こちらに居ると、その比率はもっと高いのではないかと思えてきます。ここ、ニューヨーク、ニュージャージー近郊を走る車の約二分の一は日本車ではないでしょうか?もちろん公用車(警察や消防署)や大型トレーラーはメイドインUSAなのですが、個人の車に至ってはトヨタ、ホンダ、日産、スバル、三菱など日本メーカーの車が目立つちます。もちろんドイツのVW、ベンツやらBMW、アウディといったもの、韓国車のHYUNDAI,KIAもありますが、日本車の比ではありません。



勤務先の近くを走る NJ-Turnpike
バイパスみたいなもの-95号(有料)と80号(無料)が平行して走っている。

  アメリカ車を使っていたことのある友人が言ってましたが、最初はよく走るのだが、一年、二年と経つうちにあちこちガタがきて修理というはめになり、結局は高くついてしまうそうです。 アメリカの車修理工の8割が日本車に乗っているというデータがあるそうです。それもそのはず、車の修理をしている本人達がいちばんその性能をよく知っているのです。

 もちろん、他の州に行ったことがないので全米くまなくこのNJ(ニュージャージー州)の比率とはいかないかも知れませんが、日本車の人気は高いのは事実です。それと販売が20%程度でも実際に走っている車の比率がさらに高いということです。これは結局、中古車になる比率が高い、故障率が低く、寿命が長いということではない
でしょうか。

2003年、フロリダ・マイアミに出張する機会がありました。その時、大きな駐車場で確認してみたが、日本車の割合は5台に1台、すなわち20%前後であるような気がしました。そうしてみると全米平均で20%というのはそれなりの数字なのでしょう。しかし、それにしても渡米前に思っていたよりも日本車の割合が多かったので驚いたのでした。
 

わが家のアメリカにおける第一の車は中古のスバルのレガシーです。レガシーはかつて世界記録を打ち立てた名車です。
http://www.isize.com/carsensor/s/smodel/SB_19_1.html
私の故郷は新潟で、新潟はスバルがいいというイメージがあります。我が家も長年スバルのレオーネでしたが、冬場、雪道を走る際にはなんと言っても安心感があります。

 我が家のスバルに関してこんなエピソードがあります。
  私の父がスバル・レオーネで通勤していたのですが、ある冬、雪道を走っていたら、通勤途中に田んぼにはまってしまって出れなくなってしまったそうです。そしたら、通りがかりの車から人が出てきて
「なんだねぇ。あんたんとこの車、スバルらねっけぇ!スバルらば、すぐ出れるこてさぁ!?。」
(なんだ、あなたの車はスバルではないですか。スバルならすぐ出れるでしょ。!?)
それに対して私の父がとっさに答えて曰く、
「スバルらすけぇ、ここまではいったこってさぁ!」
(スバルだからここまではまってしまったのですよ。!)
という話でした。

 4駆は今ではあたりまえで、どのメーカでもありますが、当時乗用車で4駆というのはめずらしかった部類ではないかと思います。ここニュージャージも冬は新潟並に雪がよく降ります。そんな中このスバル車は頼りになります。毎日10マイルほど通勤に走っていますが、一日1回は同じ型のスバルをみかけます。やはり、スバルは雪に強いし、よく走るというイメージがあるのでしょうか。・・・私はスバルのエンジン音が好きです。

 でも、アメリカの人は「スバル」って言えないんですよね。?!知ってました。?ラジオのCMを聞いていると「スブル」って聞こえてしまいます。・・・「素古(スブル)」っていう意味ですかねぇ。?(-_-)ちなみに「TOYOTA」は「TOYODA」に「HONDA」「HANDA」に聞こえます。





運転免許と公共サービス(2002年)

 2002年、9月某日、いよいよ免許取得の時がきた。私は領事館からの実地免除の証、SSNの証明書、日本の免許証などをもってWayne46にある免許センターに出かけた。
手続き関係情報リンク
http://www.yusui.com/new/car/licensenj.html
免許センター関係
http://www.state.nj.us/mvc/mvf_group4.html#Passaic

 2001年9月11日のテロ以降、米国内外の住民に対して様々な手続きがより時間がかかり、難しい状況になってきている。ここWayneの免許センターもその例に漏れない。すごい行列ができるというので、早朝、友人の車で送ってもらった。朝6時30分というのにすでに50人近くが並んでいる。東洋人あり、スパニッシュあり・・・これで8時の開門まで待たねばならない。9月とは言え、早朝は肌寒い。日本系の自動車学校からもらった教習書で反復勉強する。

  やがて8時開門、ガイドに言われて次々と番号札が配られて行列がよりわけられていく。建物の中は薄暗く、日本の昔の鮫洲の免許センターを思わせる。鮫洲ほど大きくはないが、どこか薄汚く、古くさい。

 ここで、アメリカの公共サービスの悪さを実感することになる。免許センターには10個くらい窓口があって、窓口別に業務が若干異なっているようだ。このあたりは日本とあまり変わりない。しかし、接客(我々が客であるという認識ならば)態度がとても官僚的というか、お役所仕事的というか、のんびりしているというか、マイペースというか、・・・ようするにサービスが悪いのである。

 私の故郷、新潟の免許センターは結構新しい建物でここWayneよりはるかに立派である。今はどこの県の免許センターも同じだろう。新潟の免許センターにはWayneの2倍くらいの人達が来る。しかし、その人波をさばく術はここアメリカはかなわないだろう。入り口で女性がすばやく我々のニーズを聞いて、「はい」といってビニールケース
に持ってきた書類を入れると「何番窓口まで行ってください。」と言う。ビニールケースには次にはどの窓口を経由すればいいのか書いてあって、我々がまごつくことはない。それに行列をつくってしまうということがほとんど皆無だ。5分行列で待たされれば長いほうだろう。長い行列ができると、すぐに他の係官が隣の窓口を開け「こちらへもどーぞ。」と手招きをする。中にはそれを見越して隣の窓口あたりで待機する人も多いくらいだ。長年、免許センター内で朝、どこの窓口の行列が一番長いか、どうやったら業務をすばやく進めることができるか、改善された結果である。

 さて、もう一度アメリカの免許センターに話をもどすが、アメリカはどの窓口もすばやく業務をやっているようには感じない。ようするに係官が洗練されていないので、我々にしてみれば、素人が窓口業務をやっているとしか思えないのである。中にはこの書類どうすればいいのか他の人にいちいち聞いている女性もいる。行列はあっという間に数十人になっている。そして、その隣の窓口は行列がなく、係官が退屈げにガムをかみながらボサーッとしているのである。部屋の奥ではMVSの係官の制服を着た3・4人が何かを食べながら雑談をしている。だれかの子供だろうか、カウンターの向こうで絵を描いたり、それをコピー機でコピーしたりしている。なんてこった。!1時間くらいまって最初の手続きをする。書類をすべて出し、お金を払う。そしてまた待つ。結局試験を受けるのは午後になった。ホールの中は飲食禁止である。昼飯ぬきを覚悟する。でも、担当官達はカウンターの向こうで、ハンバーガー片手に、コーラびんを片手に仕事をしている。でも、誰も文句を言わない。言ったら、つまみだされるからだろうか。?

 韓国だったら、誰かが、大声でわめく場面である。韓国人は人の不義を見ていて黙っていられないのだ。熱血漢が多い。日本だったら、その場では言わずに、あとで投書するとか、上級官庁に陳情したりするところだろう。

 椅子にかけながら、教習本を一生懸命勉強する。自分の名前が言われた。いよいよ試験である。部屋の隅にパーティションで仕切ったブースがあり、パソコンが10台くらいならんでいる。日本のように一斉に試験がはじまるわけではない。制限時間は特になく、来た順番に空いたパソコンの前で受験する。・・・日本と似たように、自動車免許の試験は少しくせがある。その裏を読みながら、ひっかからないように試験をうける。特に米国には「アイスクリーム販売の車が道路脇に止まっているときにはどうしなければならないか?」、「スクールバスが停止しているときどうしなければならないか?」など、日本ではお目にかからない問題もある。合格点に達するとその場で試験は終わる。運よく、問題2問を残して終えた。合格!まずはめでたし、めでたし。!



栄光のLicense???
日本の免許証にくらべると何かの会員証
のようでちゃちな感じ。



2005年更新した新しい免許証・少しカラフルになり、
偽造防止の工夫もしてある。

 さあ、ここからが問題である。公共サービスのところでも述べたが、頭にきた。!免許発行の段階にきて、なかなか自分の名前が呼ばれないのである。1時間、2時間・・・どうもおかしい。ついにカウンターの女性に文句を言った。英語。・・・自分でもなんと言ったか、忘れた。だが無我夢中。相手もわかったらしく、私の書類がどこにあるか探しにいった。「あったわよ。!」らしいことを言って戻ってきた。

 アメリカ人は決して、めったに「I'm sorry」とは言わない。言ったら、自分の非を認めることになってしまうからだ。事が重大なことになればなるほど、決して「I’m sorry」とは言わない。、悪くすれば、裁判などで不利になるからだ。特に、日本人向けのガイドには交通事故などトラブルにあっても相手側との話合いのなかで決して「I'm sorry」と言ってはならないとまで書いてある。もちろん「I'm sorry」という言葉を聞いたこともあるが、それはスーパーで買い物カートが他人に触れたりしたときで、些細な場面が多い。

 例にもれず、その女性は「いかにも自分が発見したのよ。!」と恩着せがましく持ってきた。気にいらん!・・・だが、英語で文句の言いようがない私は黙って受け取って、免許証発行ブースに向かい、写真を撮影し、5分ぐらいのちに免許を受け取った。

ふうーっ!やっと終わった。!

 朝、6時に宿舎を出て、夕方6時に着く 結局免許証発行までまる一日(12時間)かかったことになる。
日本ならば午前3時間くらいで発行されるようなものである。



公共交通について(2002年)

 ここ、NJ(ニュージャージー)州はニューヨークのすぐ隣、さぞ交通の便はよかろうと思われるかも知れないが、そんなことはない。やはりアメリカは車(自家用車)がないと始まらない国である。どこへ行こうと自家用車が必要になる。バスも通っているが殆ど、ニューヨークのターミナルとニュージャージー州の各市との間の路線である。私の会社はニュージャージー州にあるが、バスで通勤している人も居る。彼はニュージャージー州に自宅があるのだが、朝わざわざニューヨークまでバスにのり、バスターミナルで今度は逆のニュージャージー州に戻ってきて通勤しているのだ。

 ニュージャージー州内で移動しようと思っても公共バスは利用できない。しかも土曜・日曜となると運休の路線もあるし、平日でも朝夕をのぞき1時間に1本程度という路線が少なくない。ホント、日本に比べると不便極まりない。ニューヨークまでは2ドル80セント、約300円ちょっとだろう。子供は1ドル25セント。約1時間でこの運賃ならばまあ、日本と変わりない。それにしても不便な公共交通である。




運転について(2002年)

 運転について。アメリカの自動車免許は取得が簡単であるが、その分、運転している人の技量が問題となる。悪いが、概して米国人の運転技量は日本人に比べて下手である。

  日本は教習所でバックミラーの確認、シートベルトのかけかた、ハンドル(ステアリングフィール)の調節方法まで懇切丁寧に教えてくれる。もちろん日本はその分、免許の取得が難しく、お金もかかることになるのだが。・・・が、米国に来てその重要さがわかった。

 日本では目の前で交通事故を見ることがなかった。もちろん事故現場を通過したことは何度かはある。だが、米国で運転してまもなく、私は事故現場を目撃(体験)することになる。コネチカット州のFreeportというところに行ったとき、友人と一緒に運転していた。街の中を40キロ・・・あ、いや、マイルで言えば25マイルだろうが・・・程度のスピードで走っていたとき、突然後ろの車がドンという音とともに脇から出てきた車に横腹をぶつけられていた。あと1秒私の車が通過するのが遅ければ、私の車が事故に遭遇していた場面である。

  米国は車社会、免許・車を持たないと生活ができない。だから、国としては免許は「最低限」の技能と知識があれば、交付されるのだろう。その代り、公道での事故についてはすべて当人に責任があるわけである。一定に技量に達し、公道を走ることを認められるのは日本もアメリカも同じであるが、日本では基礎から訓練される。ウィンカー(米国ではブリンカーと呼ぶ)をどのようなタイミングでどのように出さねばならないかなどだ。

 話は少しわき道にそれるが、米国では丁寧にこのウィンカー(ブリンカー)を出す人が少ない。だから、交差点での左折車(日本とは走行車線が右左逆である。)と直進車との事故といったケースが少なくない。私も何度か経験があるのだが、対抗車線の車は直進するだろうと思っていると、こちらに頭を振り、ドキッとするケースが何度かあった。

 さて、日本の免許取得のシステム・米国のシステム、一長一短はあるだろうが、日本では日本式のシステムでないと、車社会の秩序を維持することはできないだろう。第一、狭い日本の道路を通る場合にはそれなりの技能がないと難しい。アメリカは両サイドのドアを開けて走ろうと思えばできないことはないくらいに広い。住宅地でも左右両側に車が駐車していても実際の通行には問題がない。

 米国に日本式の運転教習システムを持ち込むことはできないだろう。もちろん米国でもドライバースクールはあるが、日本のようにすべての人がそこを通過するようにするにはインフラが必要であるし、なんと言っても米国は多民族国家だ。ドライバースクールで教習をするとしても言語や人種による性格など、民族別のドライバースクールの基準に差ができてしまうだろう。

 以前、宇宙飛行士の向井千秋さんの本を読んだことがあるが米国NASAの宇宙飛行士訓練システムは日本の自動車教習システムに非常によく似ていると書いてあったことを思い出した。

 また、このあたり、ニューヨーク近郊の州は皆、運転が荒い。信号で発進が遅れると、すぐに後ろからクラクションを鳴らされたりする。それも日本のように「プ」と、短く「ほら、青だよ。」と思えるようなやさしいクラクションではなく、「ププーププー!」と「ほら、てめー、ぐずぐずするな。!」てな風に感じとれる。結構ナーバスである。ほかの州はどうかというと、いろんな州に住んだことのある人にきいたが、道路幅はこのあたりよりもさらに広いし、ギスギスとした感じはなく、おっとりおっとりと車も走っているらしい。

 ニューヨークには「他人よりも一歩でも二歩でも先に進んで、得しよう、儲けよう」という人が言わば、世界中から集まってきている。一秒でも早く目的地につきたいという人がどうやら多いらしい。

 ただし、歩行者に対しては、日本のように、道を渡っている人をかすめて通り過ぎるということが少ない。歩行者をみかけると必ず停止し、手で渡るように合図するのが普通だ。この辺りは日本も見習うべきだろう。3年前にハワイに行ったことがあるが、そこでは、歩行者優先がもっと徹底していて、丁寧な感じがした。

  私は機会があれば、のんびりとしたアメリカの田舎に住んでみたい。思いかけない親切に出会うことも多いという。

  こちらでは一週間かけて大陸を横断するなんてことが結構あるらしい。
・・・ そうそう、私の友人が米国東海岸・ニューヨークの隣ニュージャージーから、アラスカに引っ越して行った。彼は引越しの手続きを済ませるとワゴン車に身の周りの家財道具と家族6人を乗せて、10日間かけて、アラスカへ引っ越して行った。200年前の「ワイオミングの兄弟」か「大草原の小さな家」など西部開拓史を思わせる移動である。

ある人が言っていたが、長距離ドライブで、田舎道を走っていて、車の調子が悪くなって止まっていたら、農作業を終わった人が寄ってきて、
「ああ、これなら、うちで簡単に直せるよ。寄っていきなさい。」
と言われ、修理が終わると、
「ご飯をたべていきなさい。」
挙句は、
「今日は遅いから、空いてる部屋で今晩は泊まっていきなさい。」
などと言われたこともあるという。
せっかくアメリカまで来ているのだから、そういう人情と出会ってみたいと思う。



家内の運転免許取得)(2002年)

 2003年の春、某月某日、ついに私の家内も運転免許を取得することになった。家内は英語はからっきしダメ。それでLodiというところの日本語の試験を受けられるDMVで受けることとなった。結果としてめでたく3回目の受験で合格した。と書けば、
「なんで3回でめでたいのかという話になるだろう。」
と思われるだろう。
だが、私も話を聞いて思ったが1回で合格するほうがまぐれというか、めでたいことなのだ。

 Lodiの運転免許センターに着く。入り口の受け付けで日本語の試験を受けに来たと受験許可証を見せると、奥の部屋に行くように言われる。そこにはコンピュータの端末が20台くらいあっただろうか。何かコンピュータ学院のような感じである。英語かスペイン語の試験であれば、すべて、この端末のディスプレイにに表示される問題に答えることになる。日本の試験のように何時から試験と一日数回に分けて試験を行うという形ではなく、申し込んだ順番に端末に座り試験問題に取り組む。隣の端末とのしきいはないが、問題はランダムに出題されるので、隣の人の回答をカンニングすることは意味がないのだ。

  ところで、日本語や韓国語での試験はどうかというと、このようなコンピュータ端末ではなく、入り口近くにある、5つほどの大学によく置いてあるようなミニテーブル付きの椅子に座って、ペーパー試験を受けるのだ。場所は試験官の真ん前。数種類ある試験問題の中から、一つの日本語の試験問題のシートを渡される。もう何十回、いや何年も使っているのか、コピーにコピーを重ねたのか、もはや文字が読み取れない問題もある。制限時間とかは特にないのだが、判別不能の問題を何時間も読んでも意味は通じない。

  1回目、試験を受けてきた家内が腹をたてていた。試験官にその旨を伝えても取り合ってくれないらしい。ここ、ニュージャージーには日本人を対象としたドライバースクールもある。試験後、そこに電話をかけて事情を聞いてみると、「もし、我々ドライバースクールが改善を求めるようなことを言ったら、もはや、Lodiで日本語の試験はできなくなるかもしれない。」というのである。要するにDMVにしてみれば、「わざわざ日本語の試験ができるように取り計らっているのに、これ以上、難しいことを言うようであるならば、このようなサービスはやめるぞ。!」と言うことらしい。日本人ばかりでなく、韓国人や、中国人に対しても同様らしい。特にニュージャージーのFort Lee近辺の警察や官庁系統は東洋人に対して人種差別とまではいかなくても意地の悪いところがある。詳しくは別のページを読んで欲しい。

 3回目の試験の時に、家内はある日本人男性と試験を受けたそうである。米国に来て、いままで国際免許証で運転していたが、本格的に営業で必要になるので、ライセンスを取るために試験を受けたそうである。その人もその時2回目で、めでたく合格したのであるが、その人と我々2人で、その試験について腹をたてた話が盛り上がってしまった。こういうとき、日本語が米国人にはわからないことが逆に話をもりあげる。監督官が近くを通っても平気できがねなく、悪口を言えるからだ。ははは・・・「ザマーミロ!」・・・スミマセンm(_ _)m

我々、日本人、東洋人は本当に頭にきているのである。



洗車(2002年)

 おおよそ日本ほど、きれいに大切に車を使っている国はあるまい。

  日本にいたとき、車を丁寧に使う友人がいた。すこし傷がついたと言っては補修し、汚れたと言っては、せっせせっせと磨きワックスをかけていた。外を走る時も安全運転というよりは車に傷や汚れがつかないかびくびくしている感じであった。あるとき、私は
「そんなに車が大切なら車の4隅に衝撃防止の発泡スチロールでもつけて、ウィンドウに『天地無用』『ワレモノ取扱注意』とでも張っておけば。・・・」
とひやかしたことがあった。

  韓国でも、またここ米国でも走る車は日本ほど、きれいなわけではない。
 日本に居た場合、泥で汚れた車で外を走ることは少し恥ずかしいのだが、こちらではそういうことは特にない。もちろんきれいな車もあるが、結構汚い車も走っているし、どこかにぶつけたのか、バンパーをぶらぶらとぶら下げて走っていたり、ドアが壊れているのかロープでくくりつけていたり、壊れたガラス窓の部分をビニールで覆って走っている車もたまに見かける。そのあたりは恥ずかしいことでもなんでもない。

 人だってそうだ。こちらは、別にラフな格好でオフィスで仕事をしてもあまり不自然ではない。もちろん、会社にもよるし、食べ物を扱うところではきれいなユニフォームをたいてい着ているのは日本もアメリカも変わりない。だけど、人目を気にして、わが身を着飾るということが日本ほどでなくなった。私にとってはありがたい。

 車の話だが、車の外見を重要視する、日本とは違って、実用本位のアメリカ的やり方が私は気にっている。
「汚くたって、いいじゃないか。・・・」
である。

 いくら一生懸命洗車して、ワックス掛けをしても、雨が降り、泥をはねられるかもしれないのである。それがいやなら運転せずに、ずっと車庫に置いとけばいいのだ。道路を走ることもなく、誰にも見られることもなく。・・・

 ワックス掛けは塗装を長持ちさせるにはいいかも知れないが、私の車は中古。そこまでやる気持ちは弱い。
 ただ、いくら洗車・ワックス掛けはしないといっても自分だって汚い車に乗るのはあまり気持ちよくない。
 
  で、私は、「雨の日」を洗車日と決めている。