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生活一般(最終更新:2004年1月)


顧客サービス・日本との比較・ガソリンスタンド

 その昔、日本はアメリカから顧客サービスとか、品質管理を(言葉自体も)取り入れて一生懸命研究した。いまやおそらく日本の顧客サービスは過剰と言えそうなくらいな感じがする。私はまだ、日本、韓国、アメリカ、南米4カ国(ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ)以外の国を訪れたことがない。でも他の人の話などを総合すると日本ほど顧客サービスが行き届いている国はないだろうと思う。ここ、アメリカに住みはじめてまたその感じを強くしているのだ。

 先日、NHK「プロジェクトX」でセブンイレブンの日本でのビジネス展開と成功の話があった。最初はアメリカのセブンイレブンも日本での展開は全く考えておらず、無理だと判断したようだ。それが、今では店舗数ではアメリカの2倍弱・・・
人口比率を考えるとアメリカの4倍位にまで成長したという話だ。

 アメリカの私の職場の近くにもセブンイレブンがある。何度か出かけたことがあるが、あまりいい感じではない。あるとき、洗剤を買いにいったことがあるのだが、固形洗剤のパッケージが破れて、ひとつ二つ無くなっていたので、ばら売りもしてるのかな?と思って、カウンターに持っていって、「一個ずつでも売ってるの。?」と尋ねた。すると「それはお前が破ったのか。?」と逆に睨まれてしまった。愛想の悪いいれずみをしたおじちゃんが--(いれずみをした人はこちらでは珍しくない。女性でも堂々と肌に出している人もいる。日本のようなうしろめたさは少ないようである。)--挨拶もせず、黙々とカウンターに来るお客さんをさばいているのだ。

 日本のセブンイレブンが懐かしい。・・・よくお世話になったものだ。 明るくきれいな棚には、丁寧に一人分の食材がパックされている。カウンターの行列に並んでいると、店内の商品をチェックしている人や、掃除をしていた店員が小走りにカウンターに戻り、「お客様、こちらにどうぞ。・・・。どうもお待たせしました。」と言って会計をしてくれる。なんという丁寧さ。なんという顧客サービスだろう。!

 東京ディズニーランドに行ったことのある方はおわかりだろうが、マニュアルに沿ってきちんと訓練された人たち・・・キャストと言われるそうだが、ショーに出る人から掃除をする人、別にアトラクションではなくとも、すべての人が私達に何かを感じさせてくれるものだ。そういった経験をした人は多いはずだ。マクドナルドや、ディズニーランドのサービスはもともとは、Made in USAだったはずである。それを日本は必死で学んだのだと思う。

 私達夫婦もディズニーランドに2歳の長女をを連れて3人で出かけたことがあった。長女はディズニーランドの乳母車の中で寝いってしまって、我々夫婦が交代で夢中でへとへとになるまでアトラクションを廻ったことがあった。

  夕方のパレードの時、家内は背が低いので、花壇の縁石に立ってパレードを眺めていた。高さにしてわずか20センチなのだが。すると、掃除中の若い女の子がよってきて、
「お客様、申し訳ありませんが、そこには立たれないようにお願いします。」
とニコニコと微笑みながら言っていった。歩きながら食べ物を食べていても注意されてしまう。お客様にも規則を守ってもらう。それで、我々は「ここでは遊びに徹底しないといけないのだ。」と思うのである。

 日本のガソリンスタンドに入ってもすごい。
「いらっしゃいませーーー!。」
と大きな声で言ったかと思うとあっという間に2・3人のスタンドマンが寄ってきて、
「灰皿のごみなどございませんでしょうか。?」
「オイル交換しましょうか。?」
「***が汚れておりますので、拭いておきます。」
と続け様に言われる。セール期間中にはタオルやらティッシュのおまけ、スタンド内ではコーヒーのフリーサービス。おしぼり。そして出かけるときには。「お気をつけて。」と言って、道路に出るまで
「オーライ、オーライ。!」
とエスコートをしてくれる。最後は90度に腰を曲げ、脱帽しながら「ありがとうございました。!」なんという気持ちよさだろう。
「また、来よう。」とついつい思ってしまう。そのせいか、日本に居たときはガソリンスタンドでつくったりしたカードがダッシュボードに十枚くらいも入っていたものだ。ディズニーランド顔負けのサービスである。いや「パフォーマンス」だろう。

 アメリカのスタンドはシンプルだ。ガソリンを入れるだけ。働いている人もガソリンを入れてあげるだけ、お金をもらうだけである。NJ州は基本的にサービスマン以外がガソリンを入れられないようになっているそうで、サービスマンがガソリンを入れてくれる。だけど、顔を合わせての挨拶は「ハイ(Hi!)」でおしまい。こちらが
「$10、Plus Please、テンダラープラスプリーズ」(プラスガソリンを10ドル分)と言うだけである。 

 日本はアメリカから顧客サービス、顧客満足(CS)というものがなんなのか、70年代以降必死に学んできたのではないだろうか。それが今、根付いているような気がする。おそらくそれまでの日本は「隣近所両隣、隣組、あれこれ面倒、みそしょうゆ・・・」的関係、いわば隣近所の小売商売的だったのが、変わってきた。そして今、そのサービスは公共サービまでも変えてしまっている。

  日本に居たとき、昔は役所に行くのがおっくうだった。愛想のない応対、横柄な態度、こちらが窓口で頭を下げてお願いすることも多かった。あちらこちらと「たらいまわし」になることも多かった。

 だが、近年は市役所でも待合室(エントランスホール)に入ると、腕章を付けたサービスマンが寄ってきて、「どちらへ御用でしょうか。?」と案内をしてくれる。サービスの向上、民間活力の導入、また国民すべてがこういったサービスに関心を持っているということ自体がサービスの向上を助けているのではないだろうか。



治安について

 アメリカと言えば、治安が悪い悪いと思っていた。だが、住んでみると、ここニュージャージーはそれほど危険を感じることは少ない。ニューヨークでも10年前よりも2桁のパーセンテージで犯罪が減ったという。2001年のテロはまた人々に防衛心を植え付け、また、相互に助け合うという副産物ももたらしたと何かに書いてあった。10年以上住んでいる日本人に聞いても治安はよくなった言っていた。

 ところで、米国では場所・地域によって、この治安のよしあしが左右される。車で走っていて、道に迷い、何かゴーストタウンのようなところに迷い混んだことがあるが、あとから聞いて、全米犯罪発生率ランキングに入るような地域だあったことを聞いて、冷や汗をかいたことがあった。おおよそではあるが街の雰囲気が悪いところ、外見が悪い町並みは犯罪発生率が高いらしい。日本でもそのような地域による傾向はあるが、米国ほどではない。

 悲しいことに、人種による住み分けのような実態もある。白人だけの居住区、黒人だけの居住区その街のイメージから、所得の格差を感じることも多い。そのために不動産業にマフィアのような組織もかんでいるということを聞いたこともある。安全を求める人同士、犯罪を犯すような人同士がそれぞれの地域に住みわけるということである。

 ニューヨークのマンハッタンとニュージャージー州はハドソン河をはさんで、それを渡る手段は限られている。海底トンネルが2箇所、橋が一箇所、地下鉄が2箇所?である。人口集中度などからすれば、その数は少ないように思える。が、人に聞いたところ、これはハドソン河をはさんで、ニュージャージー州がニューヨークからの犯罪者を防ぐためでもあり、新たに橋をかけたり、トンネルを掘ったりという計画を出せば、その知事候補は落選するだろうと、ある人が言っていた。日本の城を守る濠のように重要な意味がハドソン河にはあるのだという。



警察

 ニュージャージーのFort Lee近辺の警察や官庁系統は東洋人に対して人種差別とまではいかなくても意地の悪いところがある。



駐車する際には注意したい

 たとえば、交通事故を起こしたとしよう、日本人と西洋人、たとえば白人が事故を起こしたとしよう。そして、その事故の原因は西洋人側の落ち度によるものだとする。では、かけつけた西洋人の警察官はどのような調書を作成するだろうか。気をつけないと日本人側の落ち度によるものだという調書を作成されてしまうことがあるのだ。このような話は良く耳にする。もちろん警察官の中にもいわゆる、公明正大、喧嘩両成敗、勧善懲悪的正義をもってさばく警察官が居るかもしれないが、そういう警察官ばかりではないのだ。話がそれるがこちらのポリスは結構いいかげんであり、頭にくることがある。交通信号が赤なのにサイレンを鳴らしながら通過し、通過し終わるとサイレンを停止するのだ。また、事故でもないのにお互いすれ違ったパトカー同士、道路を左右の車線をふさぎ、窓を開け、笑いながら話をしている。犯罪の情報交換ならばやむをえないが、傍から見るかぎりそんなものではない。

  アメリカには「ダーティハリー」がいないのか。!映画の中だけなのか。!

 こちらは日本に比べるとはるかにパトカーの稼働率が高い、しょっちゅう、我々の家の周りをぐるぐるとまわっている。だから事故が発生した時はものの1・2分で数台のパトカーが集まるのだ。たいしたものである。我々の生活をきちんと守っているのかもしれない。だから駐車違反も日本とは比べものにならないほど、すぐさま切符が切られる。日本のようにタイヤにチョークで印をつけて、1時間の猶予を与えるなどという「丁寧な」サービスはない。だからいくら道路が広いと言っても、油断はできない。我が家ではもう*回もこの切符をもらったのである。



単位

 世界はメートル法に右習いなのに、どうしてアメリカって、こんなに独自の単位、昔ながらの単位をそのまま使っているのかわからない。長さはフィート、インチ、距離はマイル、重さはポンド、容積がガロン、気温は華氏、・・・メートル法に慣れたものにとってはこの上なくやっかいである。娘も地元の学校で単位を習ってくる。算数の教育の労力の半分近くがこのアメリカ式の単位に慣れるためにあるようなものではないだろうか。

 しかも10進法でない数えかたがあるからややこしい。子どもが数学の時間学校で習ってきて私に宿題をてつだって欲しいというのだが、こちらだってチンプンカンプンである。インチは丸められない場合、1/2,1/4,1/8,1/16,1/32という2の倍数で割って分数で表示する。また、1フィートは10インチではなく、12インチである。牛乳などはガロンだがそれをまた分ける下の単位がある。パイントこれは1/8ガロンである。2パイントは1クォート。重さ1ポンドは約453グラム、その1/16が1オンスである。ややこしい。よくもまあこんな単位を平気で使っていると思う。

 私が、米国で体重計に乗った。
「やった!」
ウォーキングのダイエット効果なのか、だいぶ、体重が減っていて喜んだ。
・・・が、傍らで娘が
「アッパ(お父さん)、これはポンド表示だよ。・・・」
・・・ よく見ると、ポンド表示の百の位を見落としていたのだった。・・・
私のはかない喜びは泡のごとくはじけた。
単位換算表
長さ メートル
(m)
キロメートル
(km)
インチ
(in./inch)
フィート
(ft./foot)
ヤード
(yd./yard)
マイル
(ml./mile)
 
1 0.001 39.3701 3.28084 1.09361 0.00062  
1000 1 39370.1 3280.84 1093.61 0.62137  
0.0254 - 1 0.08333 0.02778 -  
0.3048 0.00030 12 1 0.33333 0.00019  
0.9144 0.00091 36 3 1 0.00057  
1609.34 1.60934 63360 5280 1760 1  
面積 平方メートル
(m2)
アール
(a.)
ヘクタール
(ha.)
平方キロメートル
(km2)
平方ヤード
(yd.2)
エーカー
(acre.)
 
1 0.01 0.0001 - 1.19599 0.00025  
100 1 0.01 0.0001 119.599 0.02471  
10000 100 1 0.01 11960 2.47105  
- 10000 100 1 - 247.105  
0.83613 0.00836 - - 1 0.00021  
4046.86 40.4686 0.40469 0.00405 4840 1  
容積 立方メートル
(m3)
リットル
(l./liter)
米式ガロン
(gal./gallon)
クォート
(quart)
パイント
(pint)
立方インチ
(in.3)
立方フィート
(ft.3)
1 1000 264.171 1056.684 2117.68 61023.7 35.3147
0.001 1 0.26418 1.05672 2.11344 61.0255 0.03532
0.00379 3.78532 1 4 8 231.001 0.13368
- 0.94633 0.25 1 2 57.75025 0.03342
- 0.473165 0.125 0.5 1 28.8751 0.01671
- 0.01639 0.00433 0.01732 0.0346 1 0.00058
0.02832 28.316 7.48048 29.9219 59.8438 1728 1
重量 グラム
(g.)
キログラム
(kg.)
トン
(t./ton)
オンス
(oz./ounce)
ポンド
(lb./pound)
   
1 0.001 - 0.03527 0.00220    
1000 1 0.001 35.2740 2.20462    
- 1000 1 35274.0 2204.62    
28.3495 0.02835 - 1 0.0625    
453.592 0.45359 0.00045 16 1    

参考 海の上の距離「海里(マイル)」について
海里(sm./SeaMile)は1.852キロメートルで、これは国際的に統一されているので、米国だけのものではありません。地球の周囲の長さを40000キロと「定義」し、これを360度で割ると1度が111.111.....キロに相当。これを更に60分(1度=60分)で割ると1.852......キロメートルとなる。 これを1海里としています。
一時間に1マイル(シーマイルsm.)進む速度が1kn(ノット、Knot)です。



米国の電力事情

 
2003年8月ニューヨークを中心とする、米国東北部に大停電が発生しました。以下はその後に友人あてに送ったメールからの引用です。
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 さて、結果として、私のアパートのある地域は特になんともありませんでした。ただ、交通信号はすべてとまって、警察官による誘導をやっていました。家庭用と交通・公共用と電力供給ルートが違うようです。
・・・
ちょうど会社から帰宅した途中で停電になったようです。私の勤務時間は朝7時から午後3時45分までです。
工場の2交代制に合わせて、早番です。
・・・
夕方4時頃(ちょうどこのころ停電が発生したと思われますが)に会社を出て、ひとつ2つ信号を過ぎたのですが、3つめぐらいから赤の点滅信号になり(多分バッテリーで動いていたと思いますが)、4つめの信号からまったくブラックアウトの状態になり、車もお互い譲り合って交差点を通過するようになりました。家までは車で約10分3マイル程度ですが、途中で、寄ったスーパーでは店内が薄暗く、レジや照明も非常用電源にたよってました。そのころはまだ、こんなに大規模な停電とは思いませんでした。
・・・
少し遅れて帰った社員は大渋滞に巻き込まれたようでした。
・・・
アパートに帰るとホールの非常ブザーがうるさくなっていて、部屋から数人が出て、管理人に電話をしたりしてました。多分一度は停電したのでしょう。停電になると非常ブザーが鳴るしくみになっています。
・・・
自分の部屋に帰ると別に異常はなく、電気も普通に使えました。そしてテレビをつけてはじめて大停電であることを知りました。そのうちにケーブルテレビのデジタル回線のTVJAPANなどのチャンネル(約600チャンネルくらいあると思いますが・・・600チャンネルとはいっても番組が同じだったり、リモコンで視聴料を設定して見る仕組みになっている映画などがほとんどです。私はTVJAPANとCBS,NY1,メジャーリーグMLBのほかは殆ど見ませ
ん。)がぜんぜん見れなくなり、地上波ベースの数チャンネルだけとなりました。しかも全部のチャンネルが大停電の報道で、街頭でのインタビューをしてるものでした。インターネットもプロバイダのサーバが止まったのか、応答しませんでした。
・・・
仕方がないので、日本のビデオ(鉄道員)を見て、早めに寝ました。
・・・
あとの顛末はご存知のとおり、15日の夜にニューヨークが全面復旧しました。
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 2003年夏、米国ではニューヨークニュージャージで大停電を経験をした。米国の電力は不安定な要因を含んでいるだろうか。私が米国に来て驚いたのは電柱が皆、木の電柱であることだ。日本では最近はほとんどコンクリートの電柱になって、木製の電柱は田舎に行かないと見つけるのは難しい。多分、米国では電柱の価格が、コンクリートよりも木製の方が安上がりなせいだろう。

 それにしてもこちらの電柱はいい加減である。地面に垂直にささっていないで、傾いて立っているものが多い。昨年2002年の夏のある日、サンダーストーム(雷を伴うにわか雨)が通り過ぎたあと、帰宅についたのであるが、何箇所かで交通信号が消えていて、警察官が交通整理をしていたり、また、あるところでは電柱が倒れて、電線が切れ火花が出ていた。近くには発煙灯が炊いてあり、緊急自動車が交通整理を行っていた。


食品の味



Fort LeeにあるNIPPAN DAIDO:
コンビニ程度の広さしかないが、日本の食材なら一応そろう。薬やレンタルビデオもある

地図

 私はまだ米国にきて、高級レストランとかに入ったことはない。この話は一般、庶民レベル、日常の食材、食品の話である。米国の食品の味は「おおあじ」である。要するにうまくないのだ。これは仕方ないのだろう。長年米国で生まれ育った人にとっては、我々が眉をしかめる食事についても「マミーの味」であり、「故郷の味」「懐かしい味」なのだろうが、我々にとってはいまひとつである。

 ケーキ屋さんからロールケーキを家族で買って食べたことがあるが、何か日本のものとは違う。うまくないのだ。日本のどこにでもあるスーパーのパン売り場で買ってきた特売のロールケーキも米国のケーキ屋よりはうまいだろう。それと、ケーキやドーナツといったものは必ずと言っていいほど「シナモン」味が多い。人にもよろうが、私はこのシナモン味が苦手である。さらには唯でさえ甘いのにその上にジャムだ、砂糖だ、クリームだ、チョコレートだと甘いもの二重、三重にかさねて、果ては毒々しい色のキャンデーやらがまぶしてある。これにはうんざりしてしまう。たとえて言えば、和菓子の「あんこ入り羊羹の飴と砂糖まぶしの黒蜜かけ」てなとこだろう。

・・・おえっ!・・・考えただけで顔をしかめてしまう。。

 娘の学校では韓国系の子供が5割近くになる、彼らの食事は我々日本人に近い。おやつの時間というのがあるのだが、彼らの買ってきているお菓子は韓国製か日本製のお菓子が多い。

  日本のお菓子は人気らしい。韓国製もおいしいが、日本製の二番煎じが多い。私もこちらにきて思ったが、日本のお菓子ほどおいしいお菓子はない。米国のお菓子は甘いか、しょっぱいか、まずいかである。

 と、いうわけで、私がこちらに来て、一番うまいと思ったのはなんのことはない、「マクドナルド」のフライポテトである。こちらに旅行に来られた方にはマクドナルドのディナーに招待しようか、と家内と冗談で話している。日本でも米国でもない、「インターナショナル」の味に慣らされてしまった結果といえばそれまでだが。・・・



EdgewaterにあるMitsuwa:
このあたりでは一番大きな日系スーパー。近く(左側)に紀伊国屋書店NJ店(2004年、三省堂書店に代わる)や、日本関係のショッピングモールがある。NYからシャトルバスもある。中にある、ファーストフード店からはハドソン河沿いのアッパーマンハッタンが望める。景色がきれいなところである。

地図

 こちらの食材も日本に比べると品質が数段落ちる。日本並の品質を要求するならば、ミツワ(日本系のスーパー:右の画像)大道(日本系スーパー:上の画像)ぐらいに行かないと買えない。見た目はよくても買って食べるとがっかりすることが多い。りんご、みかんなど特に果物では日本との差が大きいように思う。値段も日本の食材で限定して言えば結構高い。

 逆にこちらにきて、「いいな。」と思う食材も多い。まず、食材がインターナショナルに揃う点である。私達は韓国での生活が長かった。娘などはキムチがないと、「キムチはー?」と「禁断症状」が出てしまうくらいである。その点、こちらニューヨーク、ニュージャージーには40万と言われる韓国人の移民が居る。だからそこらここらに韓国系スーパーがあるのだが、キムチや韓国料理の食材の補給にはことかかない。

・・・ 間違ってはいけない。日本のスーパーなどにある、和製の偽キムチではない。米国産であるが、本物である。ま、キムチにして言えば、最近は日本も本場のキムチに近いものや直輸入のものが増えてきているらしいが。・・・

また、肉類も日本に比べると安いのが救いだ。

  米も安い。以前NHKで報道されたことがあったが、米国に弁当会社を作り、日本に弁当を輸出するほど、こちらは米が安い。それを日本の農民の生活を奪ってはいけないということで、日本政府は外国からの米に対し400%近い関税をかけているのだ。米を米国から輸入するとき全体の重量配分で50%を切っていれば、関税はかからない。この弁当会社が目をつけたのはそのメカニズムで、カリフォルニアに弁当会社をつくって、カリフォルニアですべてを詰め込んでしまって冷凍して日本に輸出する。すると、日本の弁当よりも安くなってしまうというのである。
米は安い。

さすが「米国(米穀)」である。


小さな親切・ドア

 こちらに来ると、よく出くわす「小さな親切」がドアを開けてあげるという親切である。

 米国にお住まいの方は心当たりがあるであろう。郵便局やビルの出入り口付近で、入る側と出る側が鉢合わせたときにどうするかの話である。相手のためにドアを開けて相手を慇懃(いんぎん)に通す、あるいは、後から来る人のために閉まりかけのドアを手で抑えておいてあげる、という仕草である。これ自体はとても気持ちがいい。・・・のだが、最近では、確かに親切ではあろうが、そこまで、人に親切にしてももらわくてもよい、という気持ちが起こってしまう。
「 ちいさな親切、余計なお世話!」
である。逆にわずらわしく思えることもある。
それくらいは親切でもなんでもないのではないかと思う。

 多分これは「レディーファースト」の名残ではないだろうかと思う。開拓当時、弱い女性を守るために、米国の男性が取ったひとつの社会風習である。それが女性ばかりでなく、年配の人に対して、そしてついには男同士でも、健常者同士でもそのようにするようになったのではないかと思う。

 それと、小さなことであるが、こちらの人はドアの近くで立ち話をすることが多い。私はそのような迷惑を嫌う方だから余計に気になる。ドアがあれば、一方が外に出、一方が内にはいろうとするそういうときにお互いに話し合うべき用件があれば、ドアを通りすぎる前に済まそうというのは自然ではある。だが、たいてい平気で、ドアをふさぐ形で立ち話をする。

 私の身近でもそういうケースがあり、そのたびに私は靴音を立てたり、咳払いをして、道を明けるように自然にうながすのだ。



小部屋

 米国の会社で働くようになって思うのだが、米国の会社の建物は意外と小部屋が多い。やたらとしきりが多いのである。もちろん保安上の問題もあるだろうが、私の居る会社でもドアは多い。

 朝、ゲートをくぐってから建物の自分の位置にたどりつくまで6つのドアを通過しなくてはならないのだ。トイレにいくときは4つドアがある。日本のオフィスビルで居たときはエレベータなど自動ドアなどがあったから、自分の仕事場まで自分の力で開けるべきドアは皆無であった。トイレに行く場合もドアは無かった。オフィスビルによくある、レイアウト上、ドアなどなく、ぐるっと回りこんでトイレにいくようになっていたからだ。仕事場も日本ならばせいぜい、パーティションでしきってあるようなところもこちらはドアつきの小部屋である。だから、ガラス窓がなければ、今日誰が来ているかもよく確認ができない。経営効率を求めるならばマイナスであると思う。中で寝ていようが、長電話をしていようが、だれにもとがめられることがないからだ。

 だから、たまに見かけるが、マネージャクラスになると会社の各部屋の鍵の塊を腰にじゃらじゃらと、ぶら下げている。人によってはズボンが下がり、おしりが見えそうなくらいだ。気の毒に。・・・

 米国の会社というと「オープン」な感じが頭にあったが、実際はそうではないようだ。

 また、トイレ(バスルームとも言うが)は、会社などではとても広い。が、それに対して、便器の数は少ないことが多い。こちらの社会保険事務所に行って、男子トイレに入ったが、8畳くらいの広いバスルームに洋便器と小便器がひとつずつだけぽつんと置いてあった。洋便器の囲いはなかった。実質8畳のエリアで一人で占有して使う形になっている。これでは数の「ニーズ」に応えられないと思うし、スペースの無駄と思った。

 それにこちらの「大」用のパーティションはひざ下くらいの高さまでは空いていることが多い。犯罪を防ぐためなのかもしれないが、慣れないとなんとなく落ち着かない。

 個人の住宅となると会社の小部屋とは逆のようだ。レイアウトは日本に比べるととても広々としているし、ベッドルーム以外、ドアはあまりつけない。

 玄関を開けると広いリビングと、それにつらなる、キッチン、ダイニングと大概ひとつの空間であって、とても広々としている。日本のような狭い廊下が無いか、あっても、オープンである。




道は東洋人(日本人)に聞け

 こちらで、私は健康のためによく散歩をする。その通り道、よく人に道を尋ねられることが多い。東洋人、とくに日本人は几帳面で、尋ねられたら、丁寧に親切に教えることが多いためらしい。

 ところが、私は米国に来て間もない。英語もできない。聞かれた道順を説明するのは至難の業である。結局は身ぶり手ぶりで遠くを指差し、ボディランゲージで説明するなり、わからなければ肩をすくめるしかないのである。

  実は、ブラジルのサンパウロの街でも同じような経験をしたのだが、そのときも現地の人に聞いたら、日本人は丁寧、親切、正確に道を教えてくれるためらしかった。

 逆にこちらの人に道を聞くと、人にもよるのであるが、あまり丁寧でなく、おおざっぱな回答しか戻ってこないことが多い。

 以前、夜に探している家がなかなか見つからないので、近くで庭仕事をしていた、男性に聞いたことがあった。米国の住居表示は通りに沿ってなされる。日本で言えば、京都の「アガル・サガル」に近いのではないだろうか。昼間ならばこの住居表示はよく見えるのだが、夜になるとこちらは街灯が少ないので、まるっきりわからなくなる。

 たとえば「10 Washington Ave. Lincoln Town,NJ 12345」てな具合の住所があるとする。。最後の12345はこちらでいうところの郵便番号「ZIP CODE」である。私の住んでいるところは07650である。次の前のNJはニュージャージーを意味する。全米50州が二つのアルファベットの大文字で表現される。「ニューヨーク」は「NY」、「フロリダ」は「FL」。その前のLincoln Townは街の名前、そしてその街にあるWashington Ave.(ワシントンアベニュー)にその家があることになる。その家の番号が10だ。そして殆どの場所で片側が偶数、反対側が奇数である。だから、意外と探しやすい。いまやインターネット時代http://maps.yahoo.comなどのサイトを利用すれば目的の場所まで一発で地図を引き出すことも可能である。

 日本の住居表示は、最近では区画整理されていて、たとえば、「学校町1−2−3」という具合にトップダウンで、小さな区画に至り、目的の住居を表示する仕組みになっている。韓国でも同様である。米国やそのほかの多くの国では住居は「通り」に沿ってなされる。だから国中全部の道路にネーミングしなくてはならないことになる。それぞれ一長一短だろう。

  それにしても通りと言ってもいろいろな言いかたがある。「Ave.」「St.」「Pl.」「Blvd.」すべてが通りである。日本でいえば、「大通り」「通り」「号線」だろう。

 ところで、先の話なのだが、結果としてその人はとても愛想がよくニコニコと私の質問に答えてくれたのだが、正確ではなかった。「そうだな。うちが30だから、10ならこっちの方だろう。」と指を指した。私は「Thank you !」とこたえてそちら側に車を回した。ところが、そちらはだんだんと30から番号があがっていく、すなわち全く逆の方向を教えられたのだった。まあ、相手に悪気はないと思う。親切そうな人だったし、そうは思いたくない。こちらにいる日本人にそのことを話したら、こういっていた。

 米国人は愛想はいい。道路を歩いていても「Hi!」とか「Good Morning!」ときやすく挨拶をしてくる人が多い。気持ちのいいことではある。ここ、ニュージャージーやらニューヨークは都会、かえってそういうことが少ない方であり、米国の田舎に居た人にきいたら、「他の州だったら、もう、挨拶抜きで通りは歩けないっすよ。!」という位、気軽に挨拶を交わす国民性なのだ。

 だから、人に道を聞かれるときもまずは気軽さが先に立つのかもしれない。内容など、二の次なのかもしれないというのだ。いいことなのか悪いのか。・・・



ムービングセール・ガレージセール

 こちらに来て、最初、家財道具をそろえるのにムービングセール・ガレージセールはとても役立った。助かった。こちらではスーパーの掲示板やら、電柱などに、「Moving Sale」「Garage Sale」の掲示がある。個人主催の場合もあるし、「日本人会」などの団体や数人で行うものもある。

 「Garage Sale」は日本で言うところのバザーである。文字通り、ガレージなどに衣類や家具、食器、装飾品などがならべてあり、価格の札がついている。もちろん中古品がほとんどだから、格安である。

 「Moving Sale」はその家が引越し間際になってから開かれることが多い。米国内は広い、引越しも全国画一料金とはいかない。東海岸から西海岸に引っ越すとなれば、できる限り、引越しの料金をうかすように努力しなくてはならないし、何よりも引越しの時に、不要なものを処分し、新規に出発しようとするのは人の心の自然のなりゆきだろう。だから、机、いす、電気器具など、「Moving Sale」では「Garage Sale」などには出ない、割と、高価なものが売りに出されることが多い。私もこれで大変助かった。ある日本人の家族が帰国する直前にムービングセールをやっていたので、台所用品を一式譲ってもらった。そして、いろいろMovingSaleを重ね、恥ずかしい話であるが、我が家の家財道具は米国生活をはじめるときにほとんど、この「Moving Sale」で用を済ませた。新品で買ったのはSONYのビデオデッキ1台である。

中古万歳!

 蛇足であるが、日本人主催の「Moving Sale」「Garage Sale」は人気だそうである。品がいいものが多いからだそうだ。

  日本にもバザーなどがあるが、米国はもっと、個人・家庭が主体的に開催するし、周囲・ご近所の人も気軽に売り買いを楽しむ。道路や電柱に、「Moving Sale」「Garage Sale」の案内札を見かけると、はじめてでも、「Hi!」と言って、気軽に寄ったりする。雑談もする。私も娘と休日車で出かけて、何度か見て廻ったり、買ったりしたものだ。結構楽しいものである。そのあたりは日本も見習ってはどうだろうか。

 日本は割と近所の手前、「自分の使い古しのこんな衣類など、恥ずかしくて出せない。」などという気持ちになってしまうのではないだろうか。リサイクルショップなどもあるが、もっとオープンに売り買いをする習慣があってもいいのではないだろうか。とかく、日本はバザーなどの際、近所の了解、歩調あわせ、付き合いが重要になる場合も少なくないので、なかなか難しいのかもしれない。

 「Moving Sale」「Garage Sale」…米国のいい習慣であると思う。



明るさと米国人

 米国人の陽気さについての話ではない。

  こちらで車を運転すると気がつくことであるが、こちらの車はよくヘッドライトをつけっぱなして走っている車が多い。夏の昼間でもである。日本ならば考えられない。こちらでは少しでも辺りが暗くなったり雨が降ったりすると、ライトを点けて走る車が増える。安全上はいいことであるが、なぜなのかはわからない。米国人は暗さに弱いのだろうか。?

 ところがそれとは逆の場合もある。米国の家の天井にはライトがない。あるのはキッチンやバスルームくらいで、リビングやベッドルームなどには日本の茶の間にあるように上からぶらさげる形のライトがない。みなコンセントにプラグを差し込む、いわばぼんぼり型のライトが多いのである。たいがいは天上を間接的に照らす形のものが多い。

 こんな話がある。ある家庭で日本のように上からライトをつるしていたそうである。そこに訪ねてきたアメリカ人が「なんで、こんなに明るくするのか。まぶしい。!」と言ったそうである。

 米国人は強い光も弱い光も苦手なのかもしれない。そう言えば・・・米国人、とくに白人はサングラスをかけているのが「さま」になるし、よく目にする。我々日本人からすれば少し「きざ」とか「やーさん系」かなと思うのであるが、米国人にとってはなんでもない、当たり前、普通のスタイルである。米国人の目は青い。東洋人の目は黒い。この辺りになにかあるのかも知れない。

 人種によるこういった光、気温などに対する対応が微妙に違うように思う。もうひとつ、白人は寒さには強く、暑さには弱いような気がする。日本人から比べるとより北方系だということがなんとなく、うなずける。夏はもちろん、こちらの米国人、特に白人は短いズボン・パンツで、外を歩く人が多い。私は北欧にはまだ行ったことはないが、パンフレットなどで北欧の人が、肌をだして日光浴をしているような写真を見た事がある。どうやらその辺りのDNAの仕業なのか、明るさ、寒暖の差の感じ方にビミョーな違いを感じている。


でかい

 やはり、アメリカ、なんでもでかい。

 スーパーの買い物であるが、こちらのカートはでかい。子供ばかりでない。私だって、カートの中に入れるくらいである。小さな子供はカートの中で、グレープフルーツやら、肉やら、ミルクと一緒になって運ばれている場合もある。形は日本のカートと似ているが、大きさはでかい。ひとまわり、ふたまわりもでかいだろう。

  ミルクの容器だって、もちろん1リットル入りというのもあるが、こちらの人はたいてい1ガロン(3.8リットルくらい)の容器で買っていく。 コーヒーの缶もでかい。日本でいう業務用とも思えるコーヒー豆の缶がこちらでは普通だ。

 売り場も広い。最近は日本でもディスカウント系のパワーセンターというんですかね。?があるらしいが、そんなのが、どこにでもある。ここの近くには駐車場の広さだけで、サッカー場が2つも3つも、はいりそうなショッピングモールがある。

 自動車免許取得のために、Wayneというところに行ったときは飛行場ではないかと思える駐車場を備えるモールもあった。

 さて、買う商品を集め、レジに行くと、一旦、カートから、すべての商品をレジの前のベルトコンベアに並べねばならない。日本ならば、「かご」から「かご」へとレジの人が移動してくれるが、こちらは自分で、全部並べねばならない。レジではそれをひとつひとつPOSに読み取らせていく。計算が終わった商品を袋にいれるが、たいてい、レジの人が入れてくれる。また、袋につめる専用の人を用意しているところもある。日本とは逆である。支払いはたいがいの人がクレジットカード。現金、小切手という場合もある。



よく見かけるトレイラー
こんなのが辺りをガンガン走ってる。

 車もでかい。乗用車は日本と同じくらいの大きさであるが、「激突」や「ターミネーター2」などに出てくるでかいトレーラーが、そこらここらで走っている。日本言えば、列車の車両くらいの長さ、大きさである。近くに寄られると少しびびる。空港リムジンなどに使われている胴のながーーーい乗用車もよく目にする。

最初に米国に来たときはなんでもかんでもでかく見えた。


商品の品質

 こちらに居る日本人が米国のモールの「でかさ」を私に説明するのに、「すごい!」と言っていたことがあったが、確かに売り場面積やら駐車場の広さは大きいのかもしれないが、私に言わせれば、商品の品質は韓国やら中国並だろう。

 こちらではキッチンやらバスルームの電球がよく切れる。我が家では多いときは1ヶ月で電球を3個替えたことがある。日本では市場に出回ることが許されない品質である。

 バスルームの電球を交換するときに切れた電球を抜いて驚いた。電球の球が、ソケットに斜めにささっていたのだ。どういうことかと言うと、電球をつくるときに、根元の金属部分にガラスのバルブが斜めにささっていたまま市場に出回っていたことになる。Made in Chinaである。前に住んでいた人が取り付けたのだろうが、こういった商品自体が市場に出回ること自体がなさけない。
 韓国流に言えば「ケンチャナヨ精神」(大丈夫、かまわない。)である。使えればよい、ということである。

 こちらの大きな家具マーケットでHome Depot というのがある、日本にあるホームセンターを大きくしたようなものであるが、売っているものはさすがにでかい。家を丸ごと一軒作れるくらいの材料が揃っているのだ。日本で言えば、建材メーカーやらが取り扱う商品である。しかし、よく見るとそういった、材料も不良品が多い。組み立て家具のサイズがぴったりと合っていなかったり、板などはビミョーに反っていたり、表面にきずがついていたりする。「売れるものはたとえ欠陥であれ、売ってしまえ。!」ということなのだろうか。?

 文房具のマーケットではSTAPLESというモールが有名である。売り場はでかい。日本のダイエーやらイトーヨーカドーくらいの広さである。しかし、商品を見ると、品そろえがよくない。広い売り場に、同じ商品が肩をならべて置いてあるだけで、決して種類が豊富なわけでない。事実、日本でいう、学校の前の文房具屋でもありそうなものも見つけられないことが多い。もちろん売り場が広いこともあるかもしれないが。・・・結局、紀伊国屋書店ニュージャージ支店の隣にある、日系の文房具店にいくことになる。

 日本に居たときはよく「東急ハンズ」に買い物に行った。いや、買い物にいくというより、見物に行くのだ。渋谷で言えば、あの「さざえ堂」のような7Aとか、5Bとか、4Cとか・・・てっぺんから、地階に至るまでゆっくり見てまわると、(蛇足だが、見学の仕方として、私はまず、エレベータで最上階にのぼり、そこからゆっくり降りてくるのであるが・・・)ほぼ一日が経ってしまう。見ていて、実に楽しい。若い子が「キャーキャー」言いながら、ショッピングを楽しんでいる。若いカップルのデートコースでもある。それだけ、きめこまかで、アイデアにあふれた商品であふれているのだ。決して同じ商品を横並びにだらだらと並べることがない。10センチ隣に移動すれば、また別の新しい商品が置いてあるのだ。
「えっ!これ、どうやって使うの?」
なんてのがゴロゴロ置いてある。私も大学院で、実験装置をどうやって作るかのアイデアが浮かばないとき、東急ハンズの素材売り場で実験器具をつくるのにぴったりの素材を見つけ、大喜びした。

 また、米国に「秋葉原」はない。会社のコンピュータ関連部品も家のコンピュータ関連部品もすべてインターネットで買った。そういった、細かい仕様のものを車で運転して全米を探そうとすれば、通信販売の送料よりは高くついてしまうからだ。もちろん、日本は電気メーカーが多く、お互い競争、切磋琢磨して、新商品、いいものを市場に投入し、それが秋葉原に集まっている。だが、米国にそのような場所を求めることは難しいだろう。

 けっこう、やっかいな米国のマーケット。
「でかけりゃいい」ってもんじゃないと思うが。・・・